修験道は簡潔に言うと、霊的な真理・真実を理解して心の浄化向上を図り、大自然の中で修行して功徳を積み、神通力・霊能力を獲得して、世の為、人の為、万物すべての為に役立てて行く宗教です。

でもちょっと極端な考えの宗教なんじゃないかと思われているかもしれません。私はそうは思いませんが。

修験道は、1400年程も前に始められたとても古い宗教なんです。そして幕末まで一般民衆の支持を得て、とても栄えました。

でも明治維新の時に、神通力・霊能力等を信じない明治政府に迷信であるとして廃止させられてしまったんです。それから第二次世界大戦が終わるまで、ずっと途絶えていました。戦後は認められて復活しましたが、以前の様には戻りませんでした。しかし、復活の兆しが幾つかの地域で見られるようになって来ています。


さて、

私が修験道を好きになったのは、善なる物事に対して、こだわりが無いという点でした。様々な考え方を受け入れ取り入れて来た所です。具体的には、神道、仏教、道教、陰陽道などを取り入れて来た事です。この事から修験道は、執着しない自由な感覚の宗教であるんだなと思いました。以外でさえありました。

でも色々と学んで行くにつれ、この事はまさに、心の執着・こだわりを解き放ち、自由自在の境地に至った役行者(えんのぎょうじゃ)さんが始められた役行者さんらしい信仰であるなと思いました。

心の浄化向上に対して執着やこだわりが無く、善なる物事を自由に取り入れ取り組んで行く宗教が修験道であると私は思いました。


また、

江原啓之さんは、彼の著書『苦難の乗り越え方』の中で、次のように書いています。

≪苦難のすべては、執着を絶ち、自分自身が解放されて自由を得て、愛を学ぶためにあります。生まれて来た以上、人類みんなに対してさまざまな愛情を持って見ることが出来る、そのたましいの成長こそが一番大切なのです。≫と。

私なりにもう少しわかりやすく書いてみると

≪人生のすべての苦難は、自らの偏った狭い執着・こだわりを絶ち、選択肢を広く持つ事によって、行き詰まり苦しむ事を無くして、自分自身が解放され自由を得るためにある。そしてまた、自他共に対する真の愛を学んで行くためにある。人類、生きとし生けるもの、万物すべてに対して真の愛でもって接することの出来るたましいや心の成長が一番大切である。≫


江原さんの文章を読んだ時、こう言うことを役行者さんは、私達に伝えたいのではないかと強く思いました。


お釈迦さまも苦行の末に、苦行という執着・こだわりを絶ち、自分自身を解放し自由を得て≪中道≫というお悟りに至ることが出来ました。


だから、修行の場は山とは限りません。

山のみであるとは、執着しません。

日常の生活も修行の場です。

どちらも大切です。

山も町も。人も動植物も。神も仏も。

みんなみんな大切です。


それが修験道の本当の姿なんです。



修験道とは

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